2017年5月16日火曜日

志田精神と一宮実業高校の創立(その1)

~創立五十五周年記念誌より~

 九十九里浜の最南端にあって、白砂青松が連なり、川あり山近く、風光に恵まれて気候温暖、産物に富み、人情風俗すこぶる純朴、しかも、加納藩旧城下町であり上総国一宮の門前町である一宮町は、近郊の農漁村の中心地として商業が盛んであったので、都会から離れている割には、流通物資に不自由はなかった。

 明治末期から、避暑地として、各方面の名士が続々と一宮に別荘を構えたのも当然で、最盛期には、朝鮮総督子爵斎藤実、陸軍大将元帥上原勇作の両氏を始めとして百数十戸に達した。その中でも、特別に一宮を愛されたのが志田鉀太郎氏で、毎週土曜日に一宮町老女子(おいなご)の別荘に来て週末を過ごし、月曜日には直接明治大学に向かわれ、晩年には、東京の本宅を引き払って、一宮に居を移された程である。